お天道様

お天道様

Date: 2012/05/14

人間悪いことだけはするもんじゃない、そう思います。

とかく勝ち組だの負け組だのが持て囃され、やったもん勝ち、儲けたもん勝ちみたいな思想が根付いたのはいつ頃からでしょうか。少々不正があろうが誰かに迷惑をかけようが儲けた者勝ち、得をするべき、いつのまにかそうなってしまったように感じます。

別にそれが特段に悪いことだとは思いませんし、そういうのはよくない、と意見を押し付ける気はなく、ただただ寂しい世の中になったものだと嘆くばかりです。

「お天道様が見ている」

昔の人はよく言ったもので、悪いことをしていて誰も見ていない、目撃者もいない状態でもきっとお天道様が見ている。だから悪いことなんてするもんじゃないよ。昔の人はそうやって子供たちを戒めた。

実はこれは非常によく出来た言葉で、お天道様とは太陽のことだ。燦々と輝く太陽は善の象徴であるし、いつだって僕らの頭上に君臨している。あんな巨大で絶対的なものが見ているのなら悪いことは出来ない、太陽信仰にはじまり、これまでずっと脈々と受け継がれてきた古の日本人の思考を象徴しているかのようだ。

反面、悪事は闇のイメージが強い。悪い相談なんかを太陽が眩しい灼熱のビーチでやるイメージはそんなにない。常に悪事は闇で、太陽の目が届かない暗闇で行うのだ。泥棒だって、太陽のいない夜中に来るイメージだ。

けれども実際には、昼間だろうが、ビーチだろうがゴルフリゾートだろうが、どんなに太陽が見ていても悪い企みはされるだろうし、夜中に泥棒するより留守になる昼間を狙った空き巣の方が多いだろう。絶対的で不思議な力を持つ太陽の象徴性が薄れていくに従って関係なく悪事が働かれるようになった。

おそらく、今時の子供に「悪いことをするとお天道様が見てるよ」と言ったところで、「お天道様、太陽のことですな。銀河系の恒星の一つで地球が属する太陽系の中心。核融合反応があの莫大なエネルギーの源となっている。ふむ、残念がら地球を視認するような要素はありませんな。よって、それは迷信です」とかパソコンで株取引しながら言われるにきまっている。

けれどもね、僕は思うんですよ。昔の人が「お日様」でもなく「太陽」でもなく「お天道様」という言葉を使ったのか。太陽信仰というか太陽崇拝において「お天道様」という言葉を使うんですけど、つまり、物理的な存在としての、天体としての存在の太陽ではなく、神としての太陽の存在を意識させたく、お天道様という言葉を使ったのだと思うんです。

で、それがどこにあるのかというと、心の中なわけで、結局、どんなに悪いことをしていて誰も見ていなくて、太陽も出ていなくても絶対に一人だけ見ている人がいる。それは自分なんだ、ということなんですよ。

僕の職場には外国からの研修生が来ていて、以前にも日本語が全くしゃべれないマレー君の話を書いたことがり、みなさんの記憶にも新しいと思うのですが、最近、新たにもっと日本語を喋れない外国人研修生の方を面倒見るようにいわれたんですね。

もう意思疎通ができなくてどこの国から来たのかも分からないレベルでその方の面倒を見ていたんですけど、実は仕事内容の意思疎通なんてのはそんなにする必要なくて、少なくとも言語で意思疎通する必要はないんですよ。絵とか身振り手振り、共通に保有している専門知識でなんとかなる。

けれどもね、せっかく朝から晩まで一緒に仕事していて、全く仕事内容以外のコミュニケーションを取れないって寂しいじゃないですか。だからちょっと日本語を教えようと思って、ずっと「性交」っていう日本語だけを教え続けていたんです。

ずっと三週間くらい仕事の話題以外は「成功とはセックスのことで」とだけ教えていたら、最初は怪訝な顔していた彼も、僕が「性交」と言うと「セックスね」と歯をニカッとさせながら答えてくれるようになったわけなんですよ。

でもね、僕がそんな性交についてしつこいくらいに教えてるって誰も知らないわけじゃないですか。二人っきりで仕事してますから、この悪事を誰も見ていない。絶対にバレるはずがないんですけど、お天道様が、他でもない僕が見ているんです。結局、こんな悪事に手を染めているとロクなことがない。

いよいよその外人の研修期間も終わり、お偉い人同席の中でお別れ会みたいなものが開催されたんです。マレー君の時はこの挨拶の時に僕の教えた嘘の日本語使われて大変な騒ぎになったのですが、今回はそれを警戒して挨拶関係は教えていません。しかも嘘を教えていない、「性交」はセックスのこと、大丈夫、きっと大丈夫と安心して見ていました。

そして会は進み、いよいよ職場の一番偉い人から研修生に記念品が贈呈されました。このウチの職場で一番偉い人、いつもこういった場面でそこそこいい値段の時計をプレゼントすることで有名で、その時計をプレゼントしてからの挨拶というかウンチクというか説教というか、

「時は金なりと申しまして…」

から始まるクソ長い話がもうウンザリ。みんな「また時計か」とウンザリとした空気が漂うんですが、当の一番偉い人だけは

「なにかなー、なにかなー」

とミステリアスさを演出してウキウキ。全員が「どうせ時計やないか」と見守る中、ガサガサと研修生が包みを開けます。そこには銀色に輝く高級風味の腕時計が。ワオ!みたいな感じで喜ぶ研修生。きっと、日本の時計は精密で正確で喜ばれるんでしょうね。そして偉い人の定型の話が始まります。

「時は金なりと申しまして…」

その時ですよ。その横でマジマジと貰ったばかりの腕時計を眺めていた研修生。どうやらその時計に「SEIKO」って書いてあったみたいで、「せいこー?ああ、セックスね」とか言い出しやがるんですよ。もう偉い人の話も止まっちゃってね、あとはお察しですわ。

結局、どんなに上手に悪いことをしたってお天道様と言う名の自分が見ているんです。そしてその時は悪事が明るみに出なかったとしても、巡り巡って必ず停滞しっぺ返しがあるものなのです。悪いことは成功しない。おお、セックスね。

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