三歳のパチンコ

三歳のパチンコ

Date: 2004/08/09

病室に置かれた小さなパチンコ台、覚えているのはそれだけだった。

僕が三歳だった時、どうにもこうにも覚えていないのだが、僕は喉が異常に弱い子供だったらしい。何かにつけて喉に炎症を起こし、病院の世話になる、そんな手のかかる子供だったようだ。

親父は22歳の時に母親と結婚し、それから3年間、何度かの流産を経験して僕が生まれた。やっと授かった長男は喉が弱くてすぐに病院にゴー。なんとも大変だったと思う。

ある日のこと。うちの母親は僕を連れて街の商店街に買い物に来ていた。公共の交通機関は何もな田舎町、車がなければ生活できない。オンボロの軽自動車を駆り出してのショッピングだった。

車の中で僕を遊ばせて買い物に行く母。今では考えられないことだけど、当時としてはわりと普通だった。で、買い物を終えて車に帰ってきた母は、その中の光景を見て腰を抜かすほど驚くことになる。

青白い顔をして助手席で倒れている僕。

喉に何か詰まったのか、全く呼吸をしていなかったらしい。時折ひきつけのような形で反応は見せるので死んではいないことは分かったらしいが、それでも確実に生命の危機。このままでは死に至ることが容易に分かったそうだ。

パニックになった母。救急車を呼びたいが、あいにく当時は携帯電話など陰も形もない時代。手の中の息子は今にも息絶えそう。とてもじゃないが救急車を呼んでいる暇などない。なんとかこの車で息子を病院に連れて行かねば、そう思ったそうだ。

しかしながら、もう首に力がなくなっている僕。抱きかかえていないと首がコテッとなってしまい、呼吸停止がさらに深刻な状態になってしまう。とてもじゃないが僕をほっぽり出して運転というわけにはいかない。

早く病院に向かわねば、かといって運転できない。パニックになって困り果てている時に救世主が現れた。

「おい、どけ。わしが運転しちゃる」

運転席を覗きこんでいたのはねじりハチマキに作業服姿の典型的な威勢の良いオッサン。小さな田舎の漁港だった僕の故郷にはこんなオッサンがあちこちに存在していた。どうもこのオッサンが様子のおかしい僕ら親子を見るに見かね、自分が運転してやると名乗り出たそうなのだ。

「おねがいします」

僕を抱きかかえ、助手席に移る母、手には呼吸停止し青い顔をした僕。運転席には名も知らぬねじりハチマキのオッサンが座る。客観的に見て物凄くおかしい光景なのだけど、事態は一刻を争う時。

「しっかりつかまっとけやー!」

呼吸困難であの世に行く前に親子共々あの世に行っちゃうんじゃないかという途方もない運転、下手したら軽自動車がひっくり返りそうな有り得ない荒々しい漁師っぽい運転で病院に到着。僕はなんとか一命を取り留めたらしい。

命の恩人である漁師は名前も告げず、ゴタゴタの中で姿を消したらしく、母親はいつまでもこの漁師を探したのだけど見つからなかったらしい。

さて、一命を取り留めたものの、その病院に入院することになった僕。母親も勿論だが、あのクサレ親父ももちろん心配したらしい。そりゃあやっとこさ授かった長男が齢3歳にして死に掛けたのだ。もちろん心配だろう。

僕は三歳という幼き年齢だったので死にかけたことや、その命の恩人の漁師、ましてや入院生活に関する記憶などサッパリなく、何も覚えてないのだけど、冒頭で述べた「病室に置かれたパチンコ台」この光景だけを鮮明に覚えている。

なんで病室にパチンコ台なんだろう。なんでそんなものが置いてあるんだろう、と思い返してみるのだけど、どうもこれ、ウチの腐れ親父が持ってきた臭い。

カワイイ息子が入院したのだから、何かしてやれないか。そう考えたのかもしれない。やはり三歳と言えば遊びたい年頃だし、入院生活は退屈で苦しいものだろう。そう考えた親父はどこから入手したのか朽ち果てたパチンコ台を背負って病室にやってきたようだ。

もうこの時点で何箇所か大幅に間違っており、おそらく看護婦さんとかに凄い怒られたのだろうと思うけど、まあ、親父も親父で若かったのだろう。若気の至りで息子のためにパチンコ台を背負うなどと言う蛮行に至ったのじゃないだろうか。

今のように電動で沢山のランプがつき、画面などが煌びやかなパチンコ台とは違い、手動でビンビンと玉を飛ばしてチューリップに入れるチャチなパチンコ台だったけど、幼き僕は大層喜んでプレイしていたらしい。

25歳で僕という息子をもうけ、そのためにガムシャラに働いてきた親父。3歳になった僕にパチンコ台を与えてご満悦な28歳の親父。どうも未だに僕がいくら負けてもパチンコをやめれないのはコレが原因じゃないだろうか。3歳の時に教えられたパチンコが原因じゃないだろうか。

8月9日、誕生日を迎えた僕は、あの日3歳の息子のためにパチンコ台を抱えてきた親父と同じ28歳になった。どうも未だにちゃんとしてなく、あの日の親父には勝てそうにないけど、今生きているのは多くの人の力があるのだからと感謝し、何とか頑張って生きていこうと思う。

生まれた年と同じ年に作られ、一生懸命働いてきた原発が蒸気漏れの事故を起こし、多数の死傷者を出した。28年間検査も点検も何もされなかったパイプが破談したのが原因のようだ。そりゃあ28年も何も点検しなければ事故にもなる。

同じ28歳の誕生日にこのような事故が起こったことを厳粛に受け止め、自分の人生の点検と言う意味も込めて、そろそろパチンコを止めようかと思う今日この頃だ。

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