サーカス

サーカス

Date: 2004/06/15

子供の頃、どうしてもサーカスに行きたかった。

僕が小学生ぐらいの頃だっただろうか、いつも母親と車に乗って通る自衛隊基地の横の広大な空き地に、突如として大きなテントが現れた。

カラフルであるが、どこか色褪せているテントは魅惑的で、幼き日の僕の心の琴線をブルブルと振るわせたものだった。あのテントはなんなんだろう。あんな大きいテントなんてアリなんだろうか。考えることはテントのことばかりだった。

しばらくして、そのテントの正体はサーカスであることを知った。数ヶ月ごとに地方を転々とするサーカス。たしか「木下大サーカス」だったと思う。娯楽もない閉鎖的な田舎町にとってサーカスの到来は話題性抜群で、学校で皆が口々に噂していた。

なんでもクマとかトラとか猛獣が出るらしい。

空中ブランコがあるらしい。

それはそれは楽しい夢のひと時らしい。

噂が噂を呼び、頭の悪い児童たちはたちどころにサーカスの虜になった。「俺も行きたい」「親に頼んでみる」、とにかく、誰が話題のサーカスに行くことが出来るのか、それだけが話題の焦点だった。

とにかく子供にとってサーカスってのは魅力的で、映画「マイライフ」でも子供時代のサーカスにまつわるエピソードが登場し、涙を誘ってくれる。それだけ僕ら子供はサーカスに魅了されていた。

映画館すら存在しなかった田舎町。一年に一度だけ市民会館に大長編ドラえもんの上映がやってきていたのだけど、どういう繋がりかその映画の割引券が必ずと言っていいほど学校で配られていた。そして、今回のサーカスの入場割引券も、どういう繋がりか知らないけど学校で配られていた。

今でも忘れない、禍々しいトラのアップの写真があって空中ブランコの写真がある。あの魅惑のテントの中身をふんだんに表現した割引券だった。たかが割引券、されど割引券。

この割引券配布は頭の悪い児童には効果覿面で、普段は大切なプリントすら家に持って帰らない僕ですら大切に大切に、余った分まで大量に持ち帰った。

「サーカスに行きたい、観に行きたい。これ、割引券」

家に帰り、元服を迎えた青年のように神妙な面持ちで親父に申し出る。しかし、端から分かっていたのだが、ウチの親にこんなことを言っても絶対に通用しない。欲しい物を買ってもらえることなんてなかったし、行きたい場所に連れて行ってもらえることなんてなかった。最初から分かってることだった。

それに、ウチの親父はサーカスだと演劇だとか映画だとか、そういったものを観るという行為が大嫌いだった。なんでも他人に見せられる、つまりは魅せられるという事実が極度に悔しく腹立たしいらしく、見るたびに歯がゆく思うらしい。つまり、プロ野球を観ては野球を出来ない自分が歯がゆいし、サーカスを見ては空中ブランコができない自分を歯がゆく思うらしい。だから、絶対に無理だって分かっていた。

「ダメだダメだ。サーカスなんてつまらん」

案の定、親父の返答は軽々と予想できるものだった。けれども、僕だってただでは引き下がらない、ちゃんと代替案を用意して親父との交渉に臨んでいたのだ。

「今度のテストで100点取ったら連れて行ってよ」

100点を取ったら連れて行け、そんあ条件を出したのだ。正直、いくら激烈に簡単な小学校のテストとはいえ、青っ鼻垂らした救い様がないバカだった僕にとっては厳しい条件だった。100点なんて夢のまた夢、夢の中で、だった。

「おっしゃ、100点取ったら連れていったるわ」

親父も「絶対無理」そう悟ったのか気さくに了承してくれたのだった。それからが戦いだった。

全然勉強なんてしたことないのにとにかく勉強。100点を取るため、サーカスに行くため、とにかく勉強して勉強しまくった。クラス一の優等生に勉強を教えてもらったりもしたし、先生にも質問した。とにかく分からない場所は何としても分かるまで勉強した。

その甲斐あってか、その後に実施された理科のテスト、あろうことか見事に100点だった。もう、受け取った瞬間に膝がガクガク震えるし、「よく頑張ったわね」っていう先生の労いの言葉も聞こえないくらいだった。

いける、これでサーカスにいける。トラも見れるし空中ブランコも見れる。大興奮だった。100点取った喜びよりサーカスを見れる喜びの方が明らかに大きくて、まさに五里霧中、夢見心地な瞬間だった。

どうだ、100点取ったぞ。サーカス連れて行け、さあ連れてけ、ホレ連れてけ、と実際に言うと間違いなく殴られるので、言わんばかりの表情で親父に100点の答案を見せました。

まさか本当に取ってくるとは思っていなかった親父。ぐうの音も出ないといった表情でマジマジと答案を見つめ、「約束だ、仕方ない」とサーカス行きを了承するのだった。

これには大歓喜だった。ついに、あの、憧れのサーカスにいける。夢のようなあのテントの中にいける。これほど喜んだことがあっただろうかという勢いで喜んだ。そして、付随して一緒に行けることになった弟もまた大喜びしていた。

「やった、サーカスいけるよ、お兄ちゃん」

「やったな、お兄ちゃんが100点取ったおかげだぜ」

微笑ましい兄弟愛も見られ、僕らは手と手を取り合って喜んだものだった。

サーカスには次の休みに連れて行ってもらえることになった。その日まで僕ら兄弟は結婚前の新婦みたいな落ち着かない日々を過ごし、サーカスの到来を待ち侘びていた。

行きたい、早く行きたい、クマを見たい、トラを見たい、空中ブランコを見たい。いけると分かっているのだけど、その日の到来がまどろっこしくて仕方ない。早く週末にならないか、休みにならないか。そんなことばかり考えている兄弟がいた。そして、その想いが爆発する。

「サーカスごっこ」

サーカスを待てないバカ兄弟が考え出した遊びだった。思えばコレが不幸のどん底への第一歩だった。

これは、近所の6区子供会公園という場所にあった遊戯具を使った遊びだった。近所の大工が調子に乗って作ったみたいな微妙にアスレチック風な遊戯具の一部に、少しばかり高い場所をロープを伝って移動するものがあった。

横に伸びた丸太から垂れ下がった何本ものロープを伝い横に移動していく。それだけの遊戯具だったのだが、バカ兄弟はコレを利用してサーカス遊びをすることを思いついた。

まあ、簡単にいってしまえば空中ブランコ遊びなのだけど、何本も垂れ下がったロープをほとんど丸太の支柱に巻きつけてしまい、端っこの二本だけにする。で、その二本を使って空中ブランコみたいにアクロバティックに遊ぼうというものだった。バカとしか言いようがない。

端のロープに僕がぶら下がり、もう一方の端に弟がぶら下がる。ここから反動をつけて左右に動き、あわよくば弟の方のロープに飛び移ったりしたかったのだけど、怖いからやめておいた。で、

「おい!早く飛び移って来い!」

怖くて出来なかった僕は弟にそうするように命じた。兄の命令は絶対である弟、逆らえずに反動をつけて動き出す。その動きはまるでサーカスみたいで、間近に迫った本物のサーカスを身近に感じさせてくれるものだった。

「よし!今だ飛び移れ!」

今考えると、この遊戯具のロープはそんなに長くなく、子供一人がやっとぶら下がれるくらいの長さだった。なのに、僕と弟の距離は3メートル以上あり、たとえカールルイスでも飛び移れないものだった。

「い、い、い、い、いくよ!」

兄の命令に逆らえず、目を瞑って覚悟を決めたかのように宙を舞う弟。エネルギーを失い、僕の目の前で無残にも落下していく弟。無残に地面に叩きつけられる弟。ボシャっという聞いたことないリアルなサウンド。全てが忘れられないものだった。

「ぎゃああああああああ」

弟の断末魔の叫び。どうも落ち方が悪かったらしく、明らかに体の一部分に異常をきたした悲鳴だった。

弟を愛して止まない僕は遊戯具から降り、狂ったように痛がっている弟に駆け寄った。

ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん

そんな擬態語が適切なほど、弟の右腕はプラプラと揺れていた。後に医者に行って分かったことだが、弟は骨折まではいかないものの、右肩を脱臼していたらしい。本気でロープに飛び移ろうとした結果、肩口から地面に叩きつけられたのだろうか。

もちろん、泣き叫ぶ弟を家に連れて帰ると我が家は大騒ぎ。やれ病院やら、やれ湿布やら、支える木をくくりつけたほうがいい、だとか、父と母が右往左往の大騒ぎだった。

もちろん、弟が医者に行った後は怒りのアフガンと化した両親にこってり絞られ、親父には頭の形が変わるぐらい怒られた。まあ、当然のことだけど、サーカスの話もお流れに。

今でも思うことがある。あの時憧れていたサーカスのテント小屋の中、あの中には一体どんな世界が広がっていたのだろうか。それは、夢もクソもないこの世界に潤いを与えてくれるものだったのだろうか。空中ブランコのようにゆあーんゆよーんと揺れる弟の右腕を思い出しては切ない気分になるのだった。

「お前は頭の中がサーカスなのかっ!」

その時、烈火のごとく怒っていた親父が僕に投げつけた言葉。この言葉の意味は今でも分からない。

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