めぐりあい

めぐりあい

Date: 2003/10/23

人と人との巡りあいって、よくよく考えると奇跡的だって思うんです。

この地球上には50億からの人間がいるし、日本だけに限っても1億以上の人間がいる。そんな1億以上の日本の民の中で、一人の人間と一人の人間が出会う確率は1億分の1。気が遠くなるような低確率だなあって。

例えば、いま僕の隣の席で必死になってヘルスのサイトを閲覧してる同僚だって、普通に考えれば途方もない確率をくぐって僕の隣に座ってることになるわけで。僕とこの同僚は、途方もない確率の上で出会っているということになるんです。

今こうやってNumeriを読んでいるアナタと、僕の出会いだって途方もない確率。とんでもない確率をくぐりぬけ、文章を通して僕とアナタ達は出会っている。それに、親子やら兄弟やら親戚やら親友やら恋人やらただの顔見知り、どんな人間関係においても、出会いってのは凄まじい確率の上で成り立っているんです。

どんなに頑張っても人間ってのは一人で生きていけないのだから、少なからず他者と関わって生きることになります。そうなると、そういった偶然の産物に過ぎない出会いを介して出会った人間と関わることになるわけ。

人は人に少なからず影響を及ぼし、また少なからず影響を受ける。他者との係わり合いの中で徐々にその人の行動や人格、考え方が軌道修正されていく。1億分の1という確率で奇跡的に巡りあった人物達が、様々な干渉を及ぼし人間を形成する。そう考えるとなんとも面白じゃないですか。

結局、出会いってのは確率のゲームに過ぎない。楽しいゲームだ。なんて思うのです。

これから先、僕はどんな人に出会い、どんな影響を受けるんだろう。どんな未来を過ごすんだろう。鬼のような確率をすり抜けて、いく千もの人物と出会う。さながら無限大に分岐点のあるロールプレイングゲームをプレイするような楽しさじゃないですか。

あまりの分岐点の多さにウンザリすることもあるし、心弾むこともある。その先に待ってるのはバッドエンディングかなんて考えると鬱積とするし、ハッピーエンドかなって考えると心躍る。そうやって一つ一つの出会いを大切にし、確率のゲームを楽しむ。そういうのもいいんじゃないかなって。

だから、日本では年間3万人、交通事故死者の3倍の人が自殺するんだけど、そういうのってもったいないなーって思うんです。確かに苦しいこともあるだろうし、生きていたくないこともあるかもしれない。でも、こんなに楽しい確率のゲームを自殺なんかして途中で放棄しちゃうのはもったいないと思うのです。

自殺はもったいない。このゲームを途中でドロップアウトなんて、しごくもったいない。そう思うのです。だから自殺はダメ、ゼッタイ。ってスタンスなんですよね、僕は。

でまあ、そんな確率ゲームの産物、出会いってのがいかに素敵で奇跡的で楽しいものなのか実例をあげてみようかと思います。

この間、コンビニで買い物した時の話なんですけど、いつものように「人妻不倫セックス」とかいう比較的ハードコアな部類に入るエロ本と、「女性自身」なんていう、時間をもてあましている奥様が場末の美容院でパーマネントをあてながら読むようなゴシップ誌をセットで買ったんです。

「人妻だって肉棒が欲しいんです。夫の出張中、我が家はフリーセックス共和国」だとか隠微なタイトルがエロス過積載のフォントでドロドロと書いてあったり、「飯島愛(30)資産300億円大富豪から求愛メッセージにニンマリ!? 」とか、心の底からどうでもいいような情報を提供してくれる雑誌を買ったのです。コンビニで。

僕はこういった恥ずかしい品物を買うのに物怖じしません。さすがに人形の館で人形用のパンツを買った時は膝から下がガクガクと震えましたが、特にエロ本などのエロ物品を買うことには何ら抵抗を感じません。

ですから、堂々と、しかも若い生娘が受け持ってるレジを狙って、そのエロ本とゴシップ誌を購入したのです。巷では若造とも言えるエロガッパどもが、「エロ本を買うのは恥ずかしい」とか言いながら、うら表紙を上にしてレジに差し出したりするみたいですけど、男だったらドカンとおもて表紙、「俺はエロ本買うよ、だから何?」みたいな気概で買うべきなんです。

でまあ、表紙に「肉棒」とか「SM」とか「後ろの穴だけは堪忍しておくんなまし」とか世紀末的な文字が躍ってるものですから、レジの娘は明らかにエロ本だって事に気付いたのか、ちょっとうつむいて恥ずかしそうにしてるんです。

昨今では、若い娘が性にオープンになってきてて、「ガハハハハ」と大笑いしながら生理用品だとかコンドームだとかバイブだとかを鷲掴みにして購入するみたいで、「大和撫子」どもが本来意味する風体に近くなっていると聞きます。

古来より日本人女性は性に対してオープンでした。相手をとっかえひっかえ変えておセックスするのが普通であり、貞操観念という概念は近年になって西洋から入ってきたとされています。そういった意味では「奥ゆかしいピュアな貞操観念のしっかりした女性」という意味で「大和撫子」を使うのは間違いなのです。

そういう風に性にオープンに本来の大和撫子が普通になった昨今だからこそ、このレジの生娘のようにウブな女性は貴重。なんとも心奪われてドキがムネムネしてしまうのです。「なんとウブな娘だ。たまんねーなー」と思いつつ、股間をビンラディンさせて興奮するのです。

そうこうしていると、そのウブ娘がエロ本やゴシップ誌のバーコード処理を終え、「○○円になります」とか、これまた可愛らしく、なんというか、絶対にこの子の乳首はピンク色だよ、と思わせるようなキューティクルな素振りで言うんです。

そこでバシッと万札でも払って、「オツリは君へのチップ。美味しいものでも食べなさい」とか言おうかと思ったのですが、家賃を滞納している身としてはそこまでの余裕もありません。仕方なく普通に千円札で払いました。

「○○円のオツリになります」

とか、生娘がオツリを手渡してくれるのですけど、そこで大事件発生。

なんと!その娘が!オツリを渡す際に!レシートとオツリが落ちないよう!僕の手を!ギュッと!握ったのです!握ったのです!握ったのです!

もうこれには大興奮!一同大興奮!いや、僕だけ大興奮。ハッキリ言って震撼した。全米が震撼した。いや、僕だけ震撼した。

とにかくですね、レジの娘がオツリを渡す際、ギュッと客の手を握るなんて尋常ならざる事態なのですよ。ギュッとですよギュッと。両手を添えるようにしてギュッと。これに興奮せずして何に興奮するというのか。

大体ですね、男女が手を握るという行為は擬似セックスみたいなものです。肉体と肉体を絡み合わせ、お互いの体温を交換し合う。それはもう変な棒を変な穴にヌルッと出したり入れたりするのに近いものがあるんですよ。

そんな擬似おセックス、それをコンビニレジのウブな生娘がやってきた。大胆にも僕にセックスアピールをしてきた。これはもう、「コイツ、俺に惚れたな」ってなもんじゃないですか。いやな、考えてもみろって、いじらしいじゃねえか。なんとも涙ぐましいじゃねえか。

よく来るエロ本を買っていく背の高いお客さん。あらら、今日もあの人、左右の靴下の色が違うわ。でもね、あの人のことを考えると胸の辺りがキュウンとなるの。どうしよう、この思い伝えたほうがいいのかな。あーん、ダメダメ、そんな勇気ないよー。きっと嫌われちゃうに違いないわ。だったらこうしてあの人のことを見てるだけでいい。そしてちょっとだけ、オツリを渡す時にあの人の体に触れられれば・・・。勇気を出して手を握ってみちゃおうかな。バカバカ、裕子のバカ。そんなことしたら不審に思われちゃうじゃない。あーん、でも握りたいよぅ。できれば肉棒も握りたい。

なんて、いじらしくも涙ぐましい葛藤があったはずなんです。

でまあ、このレジの子が僕に惚れてるのは大筋で間違いなく、「おいおい、俺にはステディがいるんだぜ」とか、僕も思うのですけど、やっぱ好かれるのって悪い気はしないじゃないですか。僕とレジの子はすごい確率をすり抜け出会った、そして彼女は僕に惚れた。そう考えると壮大なロマンみたいなのを感じるんです。

でまあ、ルンルン気分でコンビニを出て、いつもはコンビニの前でたむろして酒盛りしている若者どもを怪訝な目で見つめたりするんですけど、気分がいいので今日は笑顔。素晴らしい出会いがあった今日だけは、たむろする ろくでなしブルースどもも可愛く見える。というか僕と君らがこうしてすれ違うのも素敵な確率の産物じゃないか。なんて上機嫌。

いやーホント、素晴らしいなあ。出会いって素晴らしい。こうやって途方もない確率で出会って、惚れたり惚れられたりするんだから、ホント、すごいよな。清清しい気持ちになりながら、チロリと店の中を覗いたのです。

僕に惚れてる子猫ちゃん。オツリを渡す時に僕の手を握ってくれた子猫ちゃん。どうしてるかなーって振り返って店の中を覗いてみたんです。

そしたらアンタ、さっきのあの子。狂ったように手を洗ってるじゃないですか。レジの裏にある洗面台みたいな場所で、それはそれは必死に手を洗ってるじゃないですか。子猫を失った母猫のように手を洗ってました。そんなに洗ったら手の皮が無くなっちゃうじゃねえ?ってほどにクレイジーに洗ってました。

きっとアレだ、ほらアレだ。彼女は僕に惚れててオツリを渡す時に手を握ったとかじゃなくて、本当にオツリが落ちそうだったから握っただけに過ぎなかったってわけだ。確かに硬貨の数が多かったからな。

で、本当は好きでもなんでもなくて、むしろ嫌いで、「あの人、絶対にトイレ行った後に手を洗ってないわ」なんて汚らしい存在に思われていたに違いない。そんな客の手を不可抗力とはいえ握っちゃったもんだから、もう耐え切れずに客が帰った瞬間にクレイジーに洗浄。親の敵のように洗浄。

なんというか、その光景を見てすげえ傷ついた。確かにオナニー後に手を洗わないことはあるけど、そんなに汚くないぞと。

けっこう傷ついてしまった僕は心の涙を流し、コンビニ前でたむろするクソガキどもに対し「邪魔だ、どけどけ!」と心の中で罵倒しながらコンビニを後にしたのでした。

天文学的な確率をくぐりぬけて出会った僕とコンビニ店員の生娘。それ自体は確かに凄いのだけど、全ての出会いが必ずしも幸運な出会いではないということを思い知りましたとさ。クソッ!

奇跡的に出会う僕らのめぐりあい。幸せな出会いもあれば不幸な出会いもある。そんなんだから出会いという名の確率ゲームは面白いなって思うのです。思うのです。ホント、出会いって心ときめく素敵なものだよね(リストカットして血と涙を流しながら)

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