見上げた空の果て

見上げた空の果て

Date: 2003/04/17

仕事中にB子さんが泣き出した。

ちょっとした仕事上のミスを上司に叱られたB子さんは、皆が仕事するオフィス内で堰を切ったかのように泣き出した。デカイ図体に似合わず、シクシク、シクシクと声を押し殺すかのように泣いていた。

いつものように上司に呼ばれ、少しのミスを指摘されたB子さん。泣くような大きなミスではない。ほんとうに些細なミスだ。しかもこれまでにも何度も何度も繰り返してきたミスだ。仕方がないといってしまえばそれまでの、大したことではないミス。

上司だって、怒るというよりは「ここ間違ってるよ」と指摘する感じの言葉だった。別に何も気にすることなのない、ましてや泣くほどのことでもない、普通にありふれた風景だった。

現に、起こられた後のB子さんの表情も普通だった。「また失敗しちゃった」と、おぞましくもキュートに言いそうな雰囲気を醸し出し、そのままデスクに戻って伝票整理を続けていた。

けれども、彼女の手はピタリと止まった。伝票を握ったままピタリと止まった。そして流れ落ちる大粒の涙。伝票のインクが滲む。

「ワタシって、ミスばかりしてダメよね」

とでも言いたげな雰囲気で、声を押し殺してシクシクと泣いていた。あのB子さんが。あのマッスルバディB子さんが。

彼女は、別にミスぐらいで泣き出すような女性ではない。少なくとも、これまでのミステイクにおいても泣いた前例がない。それなのに、何故か今日は泣いてしまった。それも突然。

思うに、僕らの心というのは、大きな器のようなもので出来ているのかもしれない。そこには、悲しみや怒り、寂しさといったある種マイナスな感情が降り積もっていく。

一つミスをして、ポロリと悲しみという名の涙が心の器に溜まる。怒られる度にポロリと溜まる。その悲しみは本当に些細な量だけど、いつしか心の器の許容値を超えてしまった時、溜まっていた全ての悲しみが溢れ出す。全てを清算するかのように涙となって一気に流れ出す。

きっと、B子さんもそんな感じだったのではないだろうか。ミスをし、起こられる度に、はにかんだ表情をしながらも、心ではポロリと涙を溜める。そして今日、それが許容値を超えてしまったのではないだろうか。

僕らはいつだって、顔で笑いながらも、心に涙や怒りや寂しさを蓄えている。そして、それはいつ溢れ出すのか分からないんだ。

と、ダムが決壊したかのように泣きじゃくるB子を見て、そんなことを考えていた。そして、そんな僕の中でも、ある許容値が限界を超えようとしていた。

ウンコにいきたい・・・

実は僕、この瞬間まで3日間連続してウンコが出ていなかった。一日三回くらいウンコをする、中東情勢より不安定な僕の腹にとって三日出ないというのは異常だ。病院に行ってもおかしくないほど異常な状態。

一度飯を食うたびにポロリ、おやつを食うたびにポロリ、と僕の腸の中で溜まり積もったウンコどもは、ついに僕の許容値を超えてしまった。

マズイ、もう限界だ・・・出さねば・・・このままではオフィスで堰を切ったかのようにウンコを出す羽目になる。間違いなく史上最高の腹痛。P5レベルの腹痛が僕を襲った。

同僚どもや上司がB子を慰める中、僕はお構いなしにトイレへと走る。今はB子の涙より、己のウンコのほうが大切だ。

僕は三階のオフィスで仕事をしているのだが、三階のトイレの個室は満員。もはや一刻の猶予も許さない状況なので、急いで階段を駆け上がり四階へと走る。

四階も満員御礼。

五階も満員。ソールドアウト。

どうなってんだ、このビルは。ビルぐるみで俺を殺す気か。ダメだ、もう一歩も階段を上がれない。このまま満員の個室を前に朽ち果ててしまう。

それでもなんとか階段を上ると、六階のトイレは清掃中だった。清掃会社の掃除のおばちゃんが必死で掃除をしておられた。

もう死ぬ。ゼッタイに死ぬ。いや、ウンコ漏らすくらいならいっそのこと殺してくれ。7階のトイレまで満員だったら、僕は間違いなく死ぬ。頼むぞ、7階のトイレ。

祈るような気持ちで、少し内股になりながら階段をのぼる。

7階のトイレに到着すると、一つだけ個室が空いていた。おお、まさに天の助け。神は私を救いたもうた。追い詰められた僕の目には、開いていた7階のトイレの個室のドアが、神々しく光り輝いて見えた。

しかも、ウチのビルは一個のトイレに洋風と和風の便器を備えた個室が一つずつあるスタイルなんだけど、上手いことに和風の便器が空いている。やはりウンコをするなら和風に限る。

だって、洋風の便器なんて、あれはウンコするスタイルじゃないやん。あんな優雅に便器に腰掛けて、必死でウンコなんてできないやん。それよりなにより、洋風便器だと排泄したウンコが可哀想。あんな狭い縦長の水溜めみたいな場所に押し込められるウンコが可哀想。あんな便器じゃあ、出した後のウンコの形を愛でることもできないじゃない。やっぱウンコは和風の便器に限るよ、うん。

そんな余談はどうでもいいとして、臨界点を迎えていた僕は、一も二もなく個室へイン。和風便器に向かって思いっきり、溜まりに溜まった排泄物を出し切ります。

堰を切ったかのように、ダムが壊れたかのように溢れ出す僕のウンコ。少しずつ積もりに積もっていったウンコが一気に流れ出す。許容値を超えてしまった僕のウンコが流れ出す。そう、これもB子が流した涙と同じメカニズムなんだ。

と、思ったら出すぎなんですけど。

いやね、ホント、あり得ないぐらい出すぎ。プーとかピーとかいいながら出すぎ。三日間溜まり積もった排泄物。許容値を超えてしまった排泄物は、B子の大粒の涙のように大粒の排泄物となって溢れ出した。許容値を超えてしまったが故に溢れ出す排泄物。切々と溢れ出す排泄物。

いや、便器からも溢れ出してるんだけど。

和風の便器、決して少ないとはいえないその便器の体積を超えて溢れ出す排泄物。恐るべし、許容地越えの排泄物。便器からウンコがはみ出すなんて、俺は三歳の子供か。

「やべー、はみ出しちまったよ」

と、なんとか必死で水を流すのだけど、当然ながらはみ出した部分は流れない。何度やっても流れない。

「しょうがねえ、このまま逃げるか」

もう、ちっぽけな自分の力ではどうしようもないので、溢れたウンコはそのまま放置して逃げることに決定。さすがにそれでは極悪非道すぎるので、ちょっとトイレットペーパーを溢れたソレに被せて逃げることにする。これが僕の精一杯の良心。

溢れ出したウンコもそのままにトイレを後にしてしまう自分。明らかにワル。極悪非道のワル。

それでも、そんなワルな自分を誇らしく思いながら個室のドアをガチャリと開けて外に出ると、

「ちょっと!アンタ!」

そこには掃除のオバチャンが立っていた。もちろん、便器からはみ出し、トイレットペーパーが死人の顔のように被せられている出したてホヤホヤの排泄物を見て怒りのアフガン。掃除のオバチャン、ご立腹。

「アンタ!それを掃除するのがどんなに大変か分かってるの!」

「ウンコはみだすって!子供じゃないんだから!」

と、途方もない怒りっぷり。普段は、トイレにゲロがあろうが、通路の真ん中にウンコがあろうが、怒ることなく掃除をしているオバチャンが。ゲロを掃除しながらも、僕と朗らかに挨拶を交わしてくれるオバチャンが。僕の溢れ出たウンコを見て大激怒。

きっと、オバチャンもこの時に怒りの許容値を超えてしまったのかもしれない。

朗らかに、朗らかに、笑顔でトイレのゲロ掃除をしながらも、心の中ではまたポツリ、またポツリと怒りが溜まっていくオバチャン。それが僕のはみ出しウンコで許容値を超えてしまった。

もう、オバチャン、デッキブラシ片手に怒りのアフガン。デッキブラシで殴られそうな勢いだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、自分で掃除します」

「あたりまえでしょ!」

こんなやり取りがあり、泣きそうなくらいにオバチャンに説教された僕は、せっせとデッキブラシではみ出したウンコを掃除するのでした。

そしたらなんかね、妙に情けなくて情けなくて。自分の中の心の器が満杯になってしまったらしく、溢れ出すかのように涙が流れてきました。7階のトイレで、デッキブラシ片手に自分のウンコ掃除しながら。

僕らはいつだって正直にネガティブな感情を表に出さない。悲しいことも、頭にくることも、寂しい気持ちも、表には出さずに心の中に溜め込んでしまう。心の中の小さな小さな器に溜め込んでしまう。

その器が満杯になった時、ビックリするくらい泣いてしまうし、取り乱して怒ってしまう。そして、寂しくて死んでしまいそうになる。

泣かないことも怒らないことも寂しがらないことも、強い人間としては大切なんだろうけど、出来れば溜めこまずに、ちょくちょくと出していくことが大切なんじゃないかな。許容値を超えてしまうと自分でも制御できなくなるから。

おもて面なんて良くなくたっていい。いつも笑ってなくたっていい。できれば自分の感情に素直に、ネガティブな面も小出しにいていくべきだよね。心の器が満杯になってしまわないように。心の器も腸の容量も同じ。どちらも溜め込みすぎは良くないのだから。

そんなこんなで、やっとこさ掃除のオバチャンの魔の手から開放され、マイオフィスへと舞い戻ると、すっかり元気になったB子さんが

「patoさん、なんでデッキブラシ持ってるんですか?」

とか言うてました。

「やべ、さっき自分のウンコ掃除したヤツ持って来ちゃった」

「ギャー、汚い!!」

「失礼な!確かに汚いけど、汚くないぞー!」

「ギャーーー!死ねーーーー!!!」

というハチャメチャなやりとりも。今日も僕らは表面上は笑顔です。

オバチャンにデッキブラシを返そうと、三階から七階まで階段を駆け上がっている時、ふいに踊り場の窓から見えた空は青く綺麗で、

僕らの心の器の許容地も、この空みたいに広ければ良いのになって思いました。

ついでに、僕の腸の許容量ももうちょい欲しい。

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