代打日記 オヤジ 一畑パークの落日

代打日記 オヤジ 一畑パークの落日

Date: 2002/09/17

はい、というわけで、ものすごく前から予告していたとおり、代打日記にウチのクレイジーファーザーことオヤジの登場です。といいましても、オヤジはこのサイトの事など知りませんし、説明しても理解できないでしょう。そんな彼に「ウチのサイトに日記を書いてくれ」などと言っても、訳も分からず殴られるのがオチです。第一、彼がパソコンを使って文章を書けるはずもありません。

ですから、彼に「何か切なくて面白いエピソードを提供してくれ」と頼み、そこで切々と語られた話を元に僕が文章を書くという形式を取る事にしました。つまり、原作がオヤジで、文章編集は僕という、なんか親子の共同作業のような微笑ましい代打日記です。クレイジーオヤジの語る思い出話、是非お楽しみください。

「一畑パークの落日」

ウチのオヤジも、若くにして母親を、つまり僕の祖母を亡くしている。大体、オヤジが27,8歳ぐらいの時に祖母は他界したと聞いている。そしてこれは、祖母が他界するちょっと前、つまりオヤジが今の僕と同じ26歳の時のお話である。

以前に、僕は日本一寂しくて切ない観光地として、目の薬師として知られる「一畑薬師」を紹介した事がある。一畑薬師を取り巻く商店たちは、昔は壮大な観光地であっただろうと推察できるのに、今では半分以上の土産物屋がシャッターを閉め、物寂しい雰囲気を醸し出しておいる。なんとなく世紀末のようなイメージ漂う場所で、行くだけで寂しくて泣ける事請け合いの観光地である。と紹介した。

では、なぜただの薬師ごときにそこまで壮大な観光地が形成されたのだろうか。薬師なんてただの神社なのに・・・。考えてみれば、ただの薬師周辺にしては、潰れてはいるものの異常に土産物屋やレストランが立ち並んでいるのだ。一畑薬師だけを取り巻く観光施設としては過剰すぎる。

しかし、その謎もすぐに氷解する。実は、この観光地は一畑薬師だけではなかったのだ。もう僕が生まれる以前の話になるのだが、この一畑薬師の周辺には一畑パークと呼ばれる遊園地があったのだ。山陰地方に唯一存在する遊園地。それがここにはあった。一畑薬師と一畑パークで一大観光地として成り立っていたのだ。

しかし、そのパークが経営不振か何か知らないが廃業する事となり、薬師だけが残った。すると自然と訪れる人々も減り、周りの商店達も軒並み閉店。そして今のような廃墟の観光施設が残ってしまったのだろう。

オヤジは、子供の頃からその一畑パークが好きだったらしい。好きと言っても、あまりに貧乏すぎる家庭のため連れて行ってもらえることなど絶対になかったらしい。行きたいとは思っていたが、親に悪くて連れて行ってくれとは言い出せなかったそうだ。

ただただテレビから流れる一畑パークのCMソング

一畑パークは 山の上~♪

を歌い続けている。そんな子供だったらしい。それをオヤジの母は、聞くたびに「連れて行ってあげたい」と思ったらしいのだが、お金がないため不憫な思いをさせると泣いていたようだ。

そして月日は流れ、親父は26歳となる。子供の頃、あれだけ行きたがっていた一畑パークの事など微塵も考えなかったそうだ。なのに突然、母が言い出した。

「二人で一畑パークに行こう」

オヤジももう26歳である。母親と遊園地などという年ではない。最初は行くのを渋ったらしいのだが、オヤジの姉や兄がシツコク「二人で行って来い、金は心配するな」と言うものだから、母を連れてバスに乗り継ぎ一畑パークに行ったそうだ。

一畑パークは島根県松江市の外れの方にあるのだが、ウチからその松江までかなり遠い。長時間バスに揺られながら目的地を目指す。何度もバスを乗り継いで。でも、あまりに照れくさいためか、オヤジは母と一言も会話を交わすことなく、ただただバスに揺られていた。

まず、松江に到着したら二人で食事をすることにしたらしい。貧しい家庭だったため外食も殆どしたことがなく、思い出せる数少ない外食だ。普通のレストランに入り当たり障りのないカレーを親子で注文する。

運ばれてくるカレー。

しかし、ここで店員側にミスがあり、スプーンを一緒に運んでくるのを忘れたようなのだ。ただ、雑然とテーブルに置かれる二つのカレー。オヤジは、「スプーンがない」と気付いたのだが、母は明治生まれの人間だ。スプーンがないのなら箸だと、テーブルに備え付けの箸で黙々とカレーを食べはじめたそうなのだ。カレーを箸で食べる母。周りの人も注目して見ている。オヤジは心底恥ずかしいと思ったそうだ。

食事も終わり、二人はいよいよ一畑パークへ。

そこは花が咲き乱れ、物凄く綺麗な場所だったそうだ。そして数々のアトラクションがあり、歩いている人も皆楽しそうに笑顔だった。本当にここは楽園だと感じたらしい。幼い頃から憧れていた一畑パーク、それは本当に素敵な場所だった。彼は力強く言っていた。

祖母は、花や動物に異常に詳しい人だったらしい。もう歩く植物図鑑と呼ばれるほど特に花を愛する人だったそうだ。当然、そんな祖母が園内に咲き乱れる花々を見逃すはずがない。

すかさず、歩いている観光客相手に花の説明を始めたそうだ。

「この花はね、○○といって○○科の花で、大体秋から春にかけて・・・」

延々と、園内の全ての花々を説明する勢いで、まるでガイドのように見知らぬ人に説明する母。次第に周りには人垣ができ、大勢の人が祖母の説明に聞き入る。そんな光景を少しはなれて見ていたオヤジは、心底恥ずかしいと思ったそうだ。ガイドでもないのに得意満面に説明する姿が赤面するほど恥ずかしかったらしい。

そして、一通り説明が終わると、いよいよ乗り物に乗ることになったらしい。そこでオヤジがチョイスしたのは「ビックリハウス」と呼ばれるものだった。小さな小部屋のようなアトラクション。オヤジは何なのかわからず、とりあえず「ビックリハウス」にしたようだ。

中に入ると、そこは本当に真っ暗な小部屋で、向かい合わせたベンチが二つ置いてあるだけだった。とりあえず、母と並んでそこに座る。向かいには見知らぬカップルが座る。

すると、暗い部屋の壁に風景が映し出された。オヤジは、その風景をボーっと眺めていたのだが、次第にその風景が揺れていることに気がつく。最初は僅かに風景が揺れているだけだったが、次第にシャレにならないぐらい揺れはじめる。同時に座っていたベンチも動いているのだ。間違いない。この小部屋は揺れ動いている。そう確信したそうだ。

実際には、それは壁面の風景とベンチを連動させて動かしているだけなのだが、何も知らない親父には本当に部屋ごと動いていると思ったそうだ。

そして、揺れはドンドンエスカレートし、もう一回転しそうな勢いでグワングワン動いていた。オヤジも恐怖のあまりウワーーーーと叫び、ベンチにしがみついたそうだ。当時、26歳で若者と呼べる部類の親父でもこの怖がりようだ。明治生まれの母親などどれだけの恐怖だっただろうか。まさにビックリハウス。

ふと母親が心配になり目をやると、ベンチに姿がなかったそうだ。さっきまで隣に座っていたのに忽然と姿が消えた。

見ると、母親は地面にうずくまり、必死で「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と唱えていたそうだ。

なんてことはない、ただベンチがほのかに揺れ、壁に映し出された景色がぐるぐる回ってるに過ぎないのに、オヤジと祖母は恐怖でムチャクチャだったらしい。向かいのカップルがその姿を見て笑う。オヤジは心底恥ずかしかったそうだ。

こうして、オヤジは一畑パークの随所で恥ずかしい思いをし、母と一日中遊んだそうだ。そして、恥をかきすぎたあまり、憧れだった一畑パークも二度と行きたくないと思ったという。

その後、一畑パークは閉園し、祖母も他界した。

遺品整理をしていて、祖母のつけていた日記がでてきたそうだ。そこには、つらづらと買った食料や支払ったお金、返した借金の額などが毎日毎日書かれていた。日記というよりは家計簿のようなものだった。しかし、祖母とオヤジ、二人で一畑パークに行ったあの日、その日だけ特別に長い長い文章で楽しかった思い出が書き綴られていたという。

そこに書かれている言葉からは、本当にあの日楽しかった母の気持が書かれていた。明治生まれの祖母にとって、一畑パークで見るものは何より新鮮で楽しいものだった。戦争も経験した祖母にとって、遊園地は本当に平和と幸せの象徴だった。そして最後には、

「子供の頃からあの子が、ずっと歌っていた歌。一畑パークは 山の上~♪あの歌を聞くたびに心が締め付けられる思いだった。だけども、時間はかかったけど、あの子も26歳になったけどやっと連れて行くことができて満足だ。あの子は本当に優しい子だ」

と書かれていたそうな。

それを読んだ瞬間、オヤジは心底恥ずかしいと思ったそうだ。自分を恥ずかしいと。母親の行動を恥ずかしい恥ずかしいと思っていた自分が恥ずかしかった。そして悲しかった。そして、お母さんアリガトウと。

閉園してしまい、二度と行く事も思い出に浸ることもできない一畑パーク。それでもオヤジは今でもシッカリとあの日の事を覚えているそうだ。母と一緒に過ごしたあの日を。

というわけで、ウチのクソオヤジ原作の代打日記でした。っていうか、人の話を文章にするのって難しいですな。

まあなにより、この話を聞いて、なんとなく一畑薬師の寂しさや切なさの原因が分かったような気がします。遊園地とは楽しく愉快で笑顔の象徴のような場所です。そこが潰れてしまった跡地にも、人々の記憶は楽しかったまま残る。そこには夢の王国があったのだと、いつまでもいつまでも記憶にだけ残るのです。

そういった数多くの思いが、遊園地跡地の物寂しさを演出しているのではないかと思うのです。誰もが思う

「昔、あそこには遊園地があって楽しい場所だった」

という感傷だけ残して廃墟となる、それが遊園地なのです。なんとなく物寂しいよね。

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