SAKURA ドロップス

SAKURA ドロップス

Date: 2002/05/24

古来より日本人は桜好きの民族とされています。人々は桜の季節が近づくと、まだかまだかと心を弾ませ、満開となると浮かれて大騒ぎをし、散り行く桜を見て虚無感を覚えるのです。これはなにも最近の日本人に当てはまることではなく、かなり古い時代から歌に残されていることからも分かるように、古くから伝わるもののようです。

何故にそこまで桜という植物がそこまで日本人の心にマッチし、愛されてしまうのかという部分に考えを巡らせると、おそらくそれは無常観ではないでしょうか。仏教で言う所の「人の世ははかない」とい考え方ですね。

一年のわずかだけ限られた時間に咲き誇り栄華を極める桜。そして短い間に散り行く桜。その潔さや儚さが古くからの日本人の性質にマッチするのではないかと。ちなみに、桜を人間の人生と例える例も多いですね。人間の生き死に。咲き誇って生きていたっていつかは死ぬと。梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という一節は明らかに桜と死を直接的に結びつけた表現ではないかと思うのです。

まあとにかく、桜は散り際が一番美しい。というのは僕の主観的意見ですが、何事も潔く身を引くその姿がたまらなくいじらしく、美しいものではないかと思うのです。そしてその生き様に多くの人が魅入られるのではないかと勝手に推測してしまいます。

かく言う僕はといいますと、そうは言いながらもここ数年はまともに桜を見ていないという非日本人っぷりを披露しているわけですが、毎年毎年、見よう見ようと思いながらも過ぎ去ってしまってるのです。なんとも儚いものです。

ですので、今シーズンの桜に関する思い出を語ることはできませんので、今日は若かりし頃の桜の思い出でも一つお話しようかと思います。久々に思い出話ですね。

あれは高校生の時だったでしょうか、クラスの仲間達で夜桜を見に行こうという話になりました。もう桜も満開の時期を超え、なんとなしにブームも去ったような時期でしたが、僕らは無性に桜が見たくなったのでした。

勿論、その時分のクソ高校生どもに「桜は散り際が美しい」などという粋な思考はなく、ただなんとなく混んでなさそうな時期に桜を見たかったのだと思います。しかも夜桜というなんとも狂おしいシチュエーションです。嫌がおうにも僕らのボルテージは高まります。

僕たちは健全な高校生でしたので、勿論酒はご法度。青少年らしくコンビニでジュースとスナック菓子を買い込んで原チャリを走らせて、地元の桜の名所である公園に行きました。

やはり、桜散り初めの夜の公園です。花見客もまばらで、ほとんど活動していませんでした。なんか出店とかもほとんどが片付けられていて、ただただ桃色の提灯だけが綺麗に輝いておりました。

そこで、おもむろに敷物を敷き、買ってきたジュースやらお菓子やらを広げて桜を見ながら楽しく盛り上がっておりました。そんな僕らの上に舞い降りるかのように散り行く桜の花びら。なんとも物寂しく綺麗だったのを今でも覚えています。

高校生といえば、最もエネルギー溢れる年代なのかもしれません。最も毎日が楽しくて楽しくて、楽しすぎるがゆえに楽しさに気づかない、そんな時期なのかもしれません。なんだか、散り行く桜を見ながら、自分もいつか衰え、散り果てる日が来るのではないかと無性に怖くなりました。

それでもやはり、自分の老いというものを予想だにできない若者ですので、なんとも楽しく敷物に寝転がりながら迫り来る桜の花びらを眺めたものです。意味もなく仲間と笑いながら。

「お兄ちゃんたち、おじさんたちもう帰るから、これ飲めや」

突如、そんな僕たちに、隣の敷物で酒盛りをしていたオッサンが差し入れをしてくれました。なんとも狂おしい、一升瓶に入った日本酒でした。途方もない贈り物です。

突如の贈り物にすっかり興奮気味になった僕らは、もう高校生なんだからアルコールは駄目だよ!という思いのカケラすら心の中にはなく、狂ったようにラッパ飲みしながら瞬く間に数人で一升を空けてしまいました。なんともバカ高校生どもです。

当然、そんな年端も行かない高校生どもがラッパでガンガン日本酒を飲めば、嫌でも酔っ払います。アホみたいに酔っ払います。

意味もなく走り回ったり、意味もなく掴みあいしてみたり、意味もなく木に登ってみたり。ただでさえ酔っ払っているのにそんなに暴れたら益々酒は体中を駆け巡ります。もはや全員が狂おしいほど泥酔していました。

それにしても無意味に楽しい。途方もなく楽しい。

馬鹿な友人達と、馬鹿のように酒をあおり、馬鹿なことをし、馬鹿のように暴れる。そんな一見なんでもないようなことが凄く楽しかった。ずっとこの時間が続いたら、どんなに幸せだろうか。

一通り暴れた後に、僕は公園中央にあった噴水の淵に座り込み、またジッと散り行く桜の花びらたちを見ていました。向こうの方では未だに馬鹿どもが暴れています。

きっと、この楽しい時間は二度と帰ってこないだろう。散り行く桜のように日常に吸い込まれ、僕らは大人になっていく。それぞれバラバラにもなってしまうだろう。

何故だか無性に寂しい気持ちになりました。

ただ、それは桜の花びらと同じで、二度と帰ってこない、ほんの一瞬の楽しさだからこそ尊いものであり、大切なものなのです。毎日このように酒を飲んで暴れていたら尊さもクソもない。

こんな馬鹿げた一夜を心にしまいこみ、みな日常へと飲み込まれ、大人になり、バラバラになる。だからこそ、この一夜が楽しいかけがえのない思い出となるのです。

そんなおセンチなことを思いながら、桜の花びらを見つめ、噴水の淵に寝転がっているとなんだか涙が出てきました。

「アハハハ、おい、なんかpatoが泣いてるぞ」

友人の1人が僕の涙を見つけ、茶化すように皆を呼びました。しかし、その声に反応した集まった皆も、茶化したソイツも何故だか涙目だったのです。きっと皆も何となくわかっていたんだと思う。この時間が永遠でないことに。

いつまでも、子供のように馬鹿をして騒いでいてはいけません。桜のように散り際よく、子供を卒業しなくてはならないのです。責任を負い、義務が生じ、遊んでばかりいられない大人になるのです。きっと皆、バカなりにそのことに気づいている。

「バカヤロウ、泣いてなんかいねぇよ」

僕は必死で涙を隠そうと、寝転んだ体勢から逆向きに寝返りをうちました。


ボチャン

いやね、なんか噴水の淵の上で寝返り打ったものだから、ものの見事に噴水に落ちました。

マジで溺れ死ぬかと思った。やけに深い噴水に、泥酔状態で落ちたもんだから泳げない。水を吸った服が重くて泳げない。水がやけに冷たい。死ぬる、死ぬる。

なんとか皆に助け出され、事なきを得ましたが、皆ずぶぬれでした。噴水水面にたまっていた散った桜の花びらが皆の体を覆いなんとも気色悪かったのを今でも覚えています。

そんな花びらもびしょ濡れの服も気にすることなく、僕らは原チャリを飛ばして笑いながら家路へとついたのでした。酒気帯び運転です。

きっと楽しかった時間というのは桜の花びらのように散ってしまう。それ故に儚く尊い。けれども、桜の花が毎年咲くように、きっときっと楽しい時間だって違った花を咲かせながら何回でもやってくるだろう。その満開の如き楽しさを、後悔しないよう精一杯楽しめたら素敵だと思う。

来年こそはキチンと桜を見に行こう。

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